2016年5月3日火曜日

「修正主義の再創造: 原子力への曖昧さ」

*この記事は日本語の要約、英語の順番で掲載しています。要約文は厳密な訳ではなく、別の人間が書いたものであり、詳細なデータ等は省略されているため、ぜひ原文の方もお読みください。
 
はじめに
 
本稿は、日本国憲法(1946年11月施行)改正に関するこれまでの試みと、権利の濫用の憲法上の制限の喪失に反対する反戦運動への回帰に現れる諸問題を概観しようとするものである。そしてまた、アメリカの政治的・軍事的庇護のもとに維持されてきた地域的バランス・オブ・パワー(勢力均衡)に関連してなされてきた憲法改正の動きの背景にある原動力に関する議論を示すものでもある。憲法改正を支持する層、歴代の政府体制を正当化する層、日本のプルトニウム経済と安全保障体制を保持することにより強いられるリスクと外部性に関する更なる論議を妨げる層について論ずるものである。
 
憲法9条と冷戦
 
「国権」の発動たる戦争と国際紛争を解決する手段としての「武力の行使」を放棄するという憲法9条による軍事力の制限は、国際的な集団安全保障システムへの日本のより大きな関与を認めようという論議から、憲法・法律的な防波堤となってきた。これまで、この制限を撤廃しようとする提案は、しばしば、日本の自衛隊員が同盟国に巻き込まれる形で、その軍事的冒険に参加するべく派遣されるのではないかという狭義の話として受け取られてきた。修正主義は、戦後事象の一例としてのみとらえるべきではなく、むしろ、現代の冷戦状況の文脈において注意深く理解されるべきものである。「冷戦」とは、地球上において対立する主張を持つ勢力圏間の緊張を表す限りにおいては適切な用語である。 すなわち、核兵器を含む直接的な「熱戦」は、伝統的な意味での戦争に限定される「冷たい」紛争より好ましくない。アジア太平洋地域の複雑性を、核兵器を、地球上における軍事的・経済的な力を投影する政治的なツールとして位置づけ、原子力技術をいかに分配し利用するかを、継続する歴史的な傾向として構成することの方がより建設的である。
 
日本の帝国主義的軍複合体を解体し、市民団体や産業団体を再構築する進歩的な改革と並行して、新政府はダグラス・マッカーサー元帥の支持のもと、日本国憲法を制定・発布した。当初の保守派の抵抗にも関わらず、新憲法は、1947年5月の施行以来、一度も改正されたことはない。大きな社会の不安定さ-とりわけ安保闘争と1968年の紛争および新左翼の出現-、他方では、印象的な経済成長と都市部の消費者運動、により特徴づけられる1960年代および1980年代を通じて、憲法改正論議は、政治的問題として脇に追いやられてきた。1990年代までに、湾岸戦争の終結に伴い、非武装中立主義へのコミットメントは、多国間平和維持活動という国際規範を充足しなければならないというプレッシャーに対応するための憲法改正という政治運動により大きく変化した。1994年、読売新聞は独自の憲法改正案を発表し、両極端に分かれる論争に再び火をつけた。極左、進歩派および平和主義者が現憲法の維持を求めるのに対して、保守派、ポピュリストおよび国家主義者は日本の国際社会への貢献を拡大する憲法改正を要求している。憲法9条に対する世論の変化は、米国と北朝鮮との間の核紛争や、テポドン1号が日本領海に向かって発射されたことに関する先制自己防衛をすべきとの一方的な主張に沿って生じた。
 
1955年の結党以来、自由民主党は、一貫して憲法改正を党綱領に掲げてきたが、改正の試みは国民の抵抗により行き詰ってきた。2012年4月、「占領時代に確立されたシステムから脱却、日本を真の主権国家にする」という望みを持って、自由民主党は11章110条からなる憲法改正案を提案した。近年、安倍晋三首相に率いられた自民党は、憲法改正にさらに強くコミットしており、政権の最優先課題のひとつと位置付けている。自然権の普遍性に対して少なからぬ影響を与えるかもしれない一連の条文に加えて、連立与党は現在の自衛隊を国防軍に置き換えようと提案している。この新しい条文は、常設のarmyまたはmilitaryを含意する「軍」という用語を使っている。この変更案は重大である。何故ならば、自衛隊の作戦行動の範囲は伝統的に個別自衛権の範囲に、1992年の国際平和維持協力法の施行以来、国連軍の平和維持活動への支援の範囲に、制限されてきたからだ。国防軍は、内閣総理大臣を最高司令官とし、自衛隊を常設の軍隊に完全に改組するものである。
 
これは、地域における共産主義の知覚の広がりに対応するための、着実な再軍備化と政治社会的な安定化に基づく米国の「反転」政策を思い起こさせる。1950年代の朝鮮戦争の勃発に伴い、国内の安全保障のために警察予備隊が設置された。米国の支持と要請により、警察予備隊は1952年に保安隊に改組され、1954年に自衛隊と改称された。改正案に示される提案は、自衛隊の行動におけるこの逆行を表すものだ。この新条文は、政府が、よりも「公共の利益と公共の秩序」のために、個人の権利と(集会および結社の)自由を、「公共の福祉」のもとでそれらを保護するのではなく、制限し従属させることを可能にする。国防軍は 法の強制、警察の監視や内乱の鎮圧等の国際安全保障任務に就かされるのではないかとの懸念もある。青写真には、内閣総理大臣に「非常事態」を宣言する権限を与える条項を含んでいる。非常事態が宣言された場合、議会が承認した法律と同様の効果をもたらす指令を出すことができる。

国内政策および外交政策の傾向
 
これらの憲法改正の動きは、自民党主導の政治システムにおける、歴史修正主義や教育改革、報道修正といった反動的な傾向と併せて検討されなければならない。2006年12月、愛国主義の涵養と伝統的な家族観への回帰を目的とした教育基本法の抜本改正が審議可決された。条文の根底に流れるのは、個人よりも国家を上位に置き、通常であれば戦時下においてのみ政府に与えられる傾向を示すものである。日本会議国会議員懇談会のような議会グループは、改正案の固有の原則として、「道徳教育」、皇族中心主義、国旗および国歌への尊敬等の保守的価値観の普及に強くコミットしてきた。
 
2014年12月、特定機密の保護に関する法律が施行され、政府は、国家安全保障、外交、対テロリズム、国家機密に関するスパイ防止に関するあらゆる情報を、専断により指定できるようになった。その範囲の曖昧さと監督の欠如は、指定された機密をリークした官僚およびそれを報道したジャーナリストを刑事訴追される恐れがあるとして批判されている。特定機密法は、国家安全保障会議を通じて米国と指定情報を交換することを可能とする枠組みを組成するものであり、その成立の誘因は多様である。地政学的な動機は、南千島列島や釣魚島/尖閣諸島を巡るロシア、中国との領土紛争問題である。他に考慮すべき事項としては、福島第一原子力発電所の次々と明らかになる悲劇の政治的影響、財政赤字や公的年金基金の破綻への高まる危機対応の可能性、「公共の利益と公共の秩序」が容易く破壊されるシナリオ等がある。

2016年3月、平和安全法制が施行され、自衛隊が「集団的自衛権」を行使しできる、すなわち、軍事的攻撃に対して他国を防衛するために軍事力を行使できるようになった。これにより、米日安全保障パートナーシップに更なる拡大をもたらした。2015年8月の国会審議において、山本太郎参議院議員は、ワシントンDCにあるシンクタンクで、日本政府および原子力関連企業が多くの基金を提供していることで知られる戦略国際問題研究所(CSIS)が発行した第3次アーミテージ=ナイ報告の内容を示した。安全保障法の内容は、原発再稼働、TPP交渉への参加、武器輸出三原則の修正、普天間基地の移設および日米安全保障条約にもとづく国家機密の保護など、この報告書で示唆されているものとそっくりであることが判明した。
 
国会審議において、中谷巌・防衛大臣は、安全法制のもと、自衛隊は外国軍もしくは多国籍軍のために核兵器の輸送、修理修繕を行うことができると明らかにした。さらに最近では、安倍内閣は2つの声明を出し、9条では「最低限の防衛の必要性」を満たす戦力の保持を禁じていないことを根拠に、核兵器は現在の憲法で認められていることを説明した。歴史が示すところによれば、歴代の自由民主党政権は、自前の核兵器の保有を検討してきた。この点について、オーストラリアの歴史学者、ギャバン・マコーマックは、日本のいわゆる「非核」の状況を、次のように記している:
『1957年、岸首相は、核兵器好きとして知られていた。1961年、池田首相はディーン・ラスク国務長官に内閣には核兵器に賛成の人がいると告げた。池田の後任である佐藤栄作は、1964年(最初の中国の核実験の2か月後9、ライシャワー大使に「他の国が核兵器を持つなら、日本が持たない理由はない」と語った。米国の懸念は、翌年、日本を米国の「核の傘」に含めることにつながった。大平首相(1979年)および中曽根首相(1984年)は、日本の平和憲法のもとでも、攻撃でなく防御に用いられる限り、核を保有することは禁止されていないと述べた。1990年代後半、明らかに北朝鮮を念頭に、防衛庁長官の野呂田芳成は、一定の状況においては、日本は「先制攻撃」の権利を有すると述べた。防衛庁政務次官だった西村眞悟は、この論議を一歩進め、日本は自前の核兵器を保有するべきだと主張した。』
日本の「専守防衛」政策の要石は、明らかにアメリカの核弾頭である。二国間の安全保障の取り決めは、防衛計画の大綱と日米防衛協力のための指針における防衛省により概略される。大綱と指針はそれぞれ、「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という日本の非核三原則を再確認し、米国の核抑止力に頼るものである。
 
日本がウラン濃縮と再処理を認められた「核非所有国」として存在できるという考えとの理論的一致性は、日本が被爆国であること、核拡散防止の3原則を遵守していること、核拡散防止条約のもとで核兵器を持たず核の平和利用技術を使用していること、そして、米国との特別な関係を持っていることにある。インド、イスラエルおよびパキスタンなどの(核拡散防止条約の)非署名国が、核保有について優先的な取り扱いを認められているとはいえ、他の核保有国であるイランや北朝鮮は、原子力エネルギーの研究、生産および利用を差別なく行えるように常に主張している。日本は、核不拡散と非武装の分野における受動性と、その原子力技術を同時に先進国に開示していく姿勢から裨益している。
 
日本政府の役人は、米軍基地の存在および沖縄に核弾頭を保管していること、さらに、佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領の(沖縄)返還合意に遡る遺産である核爆弾を持つ飛行機の日本の空港への自由な立ち寄りについて、無頓着であるように見える。さらに彼らは、高速増殖炉もんじゅにより核燃料サイクルを完成させ、日本で標準的な軽水炉でプルトニウム・ウラニウム混合酸化物燃料を使用することにより、核大国の地位を得ようとすることについて、なんの衒いも持っていないように見える。六ケ所再生処理工場に蓄積された46トンに上る核兵器に転用可能なプルトニウムを含む国内備蓄を、2018年に商用利用しようと計画しているが、このことは、地域的緊張を高め、日本と近隣諸国との亀裂を広げる恐れがある。
 
米国の核弾頭にその防衛ガイドラインの基礎を置いているため、日本は、「北東アジア非核兵器地帯」(NEA-NWFZ)の成立の政治的努力に影響されてこなかった。憲法改正は、従って、米国の、特に中国と北朝鮮に関する封じ込め政策とともに、統合的な核の指揮統制作戦に歩を進めることにつながる可能性がある。一方で、国際秩序への移行に対応する際に、リスクを最小化しようとする日本の「対処戦略」を拡大するかも知れない。元米国交渉官であるモートン・ハルペリンは、この複雑性を次のように詳述している:
『戦後を通じて、日本のリーダー達は、密やかに日本が独立した核能力を持つべきか否かを熟考してきた。米国の核抑止力を疑問視する日本人もいたが、多くの日本人は、米国との安全保障関係を終焉させ国際社会でより独立した役割を果たせると信じて、核能力の獲得を主張する方向に傾いた。日本は核不拡散条約への署名を余儀なくされ、のちにそれを恒久化することに同意したが、密かに、国際社会と国内状況が許せば日本が核能力を獲得することを可能にする選択肢を維持している。』
閉じたプルトニウム核燃料サイクルが日本にとって必要なエネルギーを供給することができなくとも、それにより日本が「事実上の」核保有国としてのステイタスを授与してきた。エネルギーと安全保障のマトリクスの中心に位置づけられてきた日本のプルトニウム計画は、公務員にとっては外交機能とともに「暗黙の核抑止力」と、広くみなされてきた。日本が本当にプルトニウム備蓄を使って核兵器を開発する意図があるかどうかは定かではないが、核不拡散体制を遵守する背景にはそうした意図があることは間違いがない。

社会変化を目指して
 
2011年3月11日、地震と津波、原子力災害が北日本を壊滅させた後、市民社会において社会運動の復活が見られた。それは、原子力を単にエネルギー源の一つとみなしたり、核兵器の大気中実験による世界的な汚染を非難するだけにとどまらず、両者を前提とする日米間の軍事同盟の前提であることを再認識するようになった。またそれは、世論と政策決定に影響を与える官僚主義的な陰謀と国際的なレジームの関与を明らかにした。
 
3.11を経験した日本社会のメンバーは、明らかに核兵器廃絶、説明責任と持続可能性の枠組みの中での原子力の段階的削減と再生可能エネルギーへの移行へのより強い望みを表明している。しかし、如何に日本の社会的進歩が、既存の権力構造に対する関与を回避するという若者の価値観が支配的なモードに向かう傾向により阻害されてきたかを詳細に記述することは未だ良い理由があると言える。
 
三重の災害の発生の最中、個人は、他の媒体では提供不可能な情報を提供するものとしてのソーシャル・メディアに目を向けた。ソーシャル・メディアは計画と動員のプラットフォームとなり、反体制派の活動を正常化し、共通の利益の交渉の助けとなった。しかし時がたつにつれて、ソーシャル・メディアは参考となる意見を提供する文化的ツールから、集団行動の手口(modus operandi)へと変容を遂げた。デビッド・スレイターは、3.11後の日本を観察し、この「ソーシャル・メディアの諸刃の剣」について説明を加えた:
『組織的な運動が焼失し、アドホックの政治参加が増加したことは、ソーシャル・メディアの特性によるものだ。ソーシャル・メディアは、伝統的な社会運動には付き物である骨が折れる組織化運動のほとんどを回避することで、無党派で組織化されていない個人やグループが、結集し協働し、さらには共通の目的(大義)を持つことを可能にする。多様でオープンな参加者の構成は、部外者を阻害する組織的な結合を破壊するが、課題は残っている。すなわち、同じ支持者を、長期にわたり繋げ、コミットを取り付け、活動を継続させるかである。』
垂直的に結合している古典的なカウンターパート(伝統的なメディア)と対照的に、ソーシャル・メディア活動はお互いに調停されない水平的なネットワークにより構成されている。意思決定は典型的にコンセンサスにより為され、人々をその運動につながらせているコミットメントは比較的弱い。この若者志向型社会の政策は柔軟性と流動性をもたらす一方、中央の権力や管理階層の欠如は、目指すべき方向性や戦術に関する合意に達することを困難にしている。従って、専門的マネジメントと戦術的計算の欠如は、バラバラの社会的背景を、政治的な成果を上げる力とともに代替的なヘゲモニーに変えるリーダーシップとスチュワードシップの育成を困難にしている。

同様の基準で、凝り固まった規範と行動に直面する社会的・政治的なビジョンの枠組みが、現在の平和活動に受け入れられるかどうかが今後の課題である。ネオリベラリズム精神、あるいは、自民党が主流である市民主義や公益のネオコンサバティズムな概念における日本の会社資本主義の基礎に対して根本的に挑戦する所得と富の再配分に対する要求はない。さらに、原子力と核兵器とを関連して考える意味のある試みや、世界の経済的・軍事的な不均衡に関連して脱原子力を追求する動きも、原住民族の自己決定への取り組みやアメリカ帝国主義への抵抗に関する団結への明確な指示表明もない。これらの現実の局面が論議され争点となる可能性がある限りは、戦争廃止に向けた漸進的な進捗以上のものを期待することは殆どできない。

結論

日本は、財政および生態学的な危機が高まる中、再調整の過程にある。そこには、集中した権力、経済最優先のメンタリティ、軍事的な統合の強化およびナショナル・アイデンティティの統合に概括される傾向の高まりがある。憲法改正は、イデオロギー的な世論の形成とともに、市民の市民的自由への備えからからかけ離れ、人々に国家的課題への義務を課す有害な変化を反映したものである。これらの進展は、ロシアと中国に焦点をあてたアジア太平洋地域における米国の更新されたリバランス政策との関係で現れてきたものであり、通商協定、軍事的提案、それらと関連する覇権主義的な野望への戦略的カウンターウェイトと並列している。

日本のオーガナイザーが直面している課題は、一つの問題を、国内外の軍事、不均衡、環境劣化といったより広範なシステマチックで構造的な問題に関連付ける異質で異なる派閥の動きを創発し、持続させる必要があることである。非所有の雰囲気の中で、民主主義的な機能を発揮するためには、教条主義と二枚舌は、共有する利益を主張する権力を持った、能力を持ち規律ある市民の参加を必要とする。市民の主体性の感覚と、ビジョンとコミュニティを組織化し権力を構築する革命的な政策を必要とする。そのような試みは、集合的に個人間および組織間の生活を形成する力の機能と関係についての理解から始めなければならない。


勇樹